窮屈な食事の時間

子供の頃から、食事の時間は窮屈な時間だった

腹を満たす為だけのご飯。栄養も何も考えられた事がない献立。

自分自身、この歳になったから

流石に20代前半の頃の様に暴飲暴食ではダメだと思い、食事には少し気を使う様にしているが

うちの親はそんな事は気にしない。

例えて言うなら自分の母親は、大学生になって一人暮らしをし始めた男の子が、お金がないので自炊し始めた一週間ってレベルだ

察しが付いたかもしれないが、中学生の時に料理レベルは超えている

しかし、未だに母親の料理レベルは停滞したままだ。

ここ数年、家で自炊して一緒に食べると言う事は殆ど無い。一緒に食べる機会があるとすれば、宅配で注文出来るピザやスーパーで買って来たお惣菜などを食べる時くらい

もしくは、休みの日に外食に出かけた時くらいだ。

何が窮屈なのか

食べるだけであれば、普通窮屈な事は無いかと思う。ご飯を作ってあげたのに!とか、用意してるのに不味そうに食べるな!など、文句が言いたくなる場面はない

はずだが、全てにおいて喧嘩腰な親なので、まともに食事出来ない。

まずきっかけになるのはお金の話。自分から切り出すから返すしかない。

母親は無職で何もする事がなく、ダラダラしてるからお金がない。なので生活費が払えない。

自分に出して貰わないと生活が出来ないのだが、いつでも言い方は

住んでるから払え

と言う言い方。これで払ってもらえるから見事である。

じゃあ払うからまとめといてと言うと

知らん!あんたが勝手にしろ

となる。自分にとって何のメリットもない。払うからまとめるだけで良いからとお願いすると、帰って来た言葉は

「稼ぎが少ない癖に偉そうにするな」

多分、親の決め台詞なのだろう。何度も聞いたこの台詞。確かに同年代と比べて見てみても、少ないかと思う。

完全に言い訳だが、それはまた別の機会に話そう。

一旦、話の終息化が訪れ、無言の状態が続くが、長くは続かない

何故なら、そのくらいの事では一度煮えたぎった腹わたは治らないからだ。

その時に怒り対象になった事を、表情を変えながら声を荒げて言ってくる。

この間あったのは

「家の事をやってあげてる」

との事。確かに洗濯はやってもらっている。何故かと言うと、対価にする物が無いからだ。

対価を理由にしないと、生活費すら払う事が嫌になりそうで、その逃げ道として洗濯だけはやってもらっている。

しかし、その逃げ道すら切り札にしてくる。

僕の切り札なのに、あたかも自分の切り札の様に…ここは引く事は出来ないと、反論する。

「洗濯をやってくれてるから生活費を払うんであって、洗濯もしなくなったら生活費入れないよ?」

反論すると毎回この言葉を言われる

「あんたなんか産むんじゃなかったわ」「あんたと飯食ってたら不味くなる」

自分の人生で何回この言葉を聞いただろう…自分がいつまで経っても丸くならないのも悪いが、未だにこの言葉を言われると

何のために養っているんだろう、毎回と思う。

何のため…親のため?自分のため?自問自答するが結果は見つからず

結果を見つけようとすると苦しくなり、現実逃避してしまう。

このループから逃げ出せない

母の日

昨日は日本では母の日という、母親に日頃からの感謝を伝える日という日であった

余談だが、別の所でこういったのを見た事がある

「こどもの日」の制定にともない、この日を男の子も女の子もなく全ての子供たちのための祝日として定めました。国民の祝日に関する法律では、「こどもの日」を以下のようにうたっています。

 

「こどもの日は、こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」

 

そう、こどもの日は、母に感謝する日でもあるのです。「こどもの日」が制定された昭和23年当時は、まだまだ出産は命がけの大事業でした。ですから子供の成長を祝う=自分の命を賭して産んでくれたお母さんにも感謝する、ということで制定されたのでしょう。もちろん今日では、お母さんお父さん共に「両親に感謝する日」ととらえてよいのではないでしょうか。

毒親を持つ自分にとっては何とも滑稽で、どれだけ親に感謝しているのかと思わせてくれる

母の日

商業的戦略に乗せられてるのは、誰しもが分かっている事だけど

感謝する事が悪いと言ってる訳でない

今の時代、シングルで子育てしている家庭もあるだろうに「母の日」来月には「父の日」がやってくる

シングルで育てられた子や、毒親を持つ子からすると

周りの幸せを押し付けて見せられているような気分になる子供はいないだろうか?

自分はその類で、小さい頃に周りと違う事に対して悩んでいた時期がある

ツイッターでも「毒親 母の日」で見ていると、祝わないや離れて暮らしているから考えなくていいと言った

ポジティブに捉える事が出来るツイートがある一方で、呪縛から解放されていない悩んでいる人たちもいた

リプで返していこうかと思っていたが、発言力もなく自分語りになりそうなので辞めた

で、結局のところ昨日は何をしていたかというと

用事があり夕方近くまで家にいる事は無かったのだが、夜には時間が出来たので母親を晩御飯に誘う事にしてみた

周りが母の日母の日というので、母親の気分転換にでも食べたい所に行ってあげようかと思った

電車で出掛けていたので、母親には車で途中まで迎えに来てもらう事に

でも、この時忘れていた

自分の親が普通の親でなく、毒親だった事に…

家庭の味

家庭の味というと、代表的な肉じゃがや母親が作る料理の事を思い出す
そんな方も居るだろう

しかし、自分の家には家庭の味というものが無い

何故かというと、そもそもの話で親はご飯を作れない
なので家庭の味と言うと何を思い出していいか分からない

そう悲観するものでも無い
子供の頃の方がもっと悲惨だったから

今では自分で作る事ができる
下手くそなりに自分で作る事が出来る

親は作る事が出来ない
作るくらいなら餓◯すると言って、作る事をしてこなかった

ただそんな気合も根性もなく、親にとってお腹が空くという事は非常に耐え難い事なのだ
だから今、自分がいない時の食事は小学生でも出来そうなご飯しか食べれない

今の時代、スマホがあれば何でも出来る時代
ましてややることも無く、1日寝ているだけなのに情報や知識を取り込もうともしない

そして何を食べているかと言うと
スパゲティに冷凍オクラこれを解凍して麺つゆで味付け
10代の時から変わらない、シーチキンにマヨネーズ
ケチャップつけただけのソーセージと合わせたナポリタン

正直同じ食材でもっと豊かなご飯が、スパゲティが作れるだろうに
この親はしない

この毒親はどうしようもないなと思った事が2つある
それから今まで抱え込んでいた悩みや苛立ちが不平不満となって爆発したのかも知れない

まぁ
(料理を)作るくらいなら餓◯する
は、普通の方は一生聞く事がないパワーワードだろう

ゼロから始めた毒親との共同生活

ゼロから始めたとありますが、正確にはゼロ歳という意味で
ゼロ歳からの共同生活がずっと続いています
生まれてこの方、1人暮らしをした事がありません

本来であれば
成人になると親の脛をかじらず、独り立ちするところだと思いますが
自分の家の場合そうはいきません

自分の親は子離れが今だにできず、子の脛をかじるのが当たり前になっています

普通であれば養うという言い方が正しいかと思いますが
その言葉を使いたくない、そんな感情が今の自分にはあり
ネットで見てみると、自分と似たような経験をしている人たちがある言葉を使って
自分と同じ親の事を

毒親

言っていました
その言葉に感銘を受けた…までは言い過ぎかもしれませんが
同じ境遇の人が居る事
同じ様に苦しんでいる人がいる事
自分自身、誰かに救ってもらいたいと感じているからか
ここに書き募って行こうかと思い、ブログを開設する事にしました

書き方が分からず、読みにくい部分が多々あると思いますが
同じ境遇や小さい頃の話、そのまま共同生活を続けるとどの様になっていくのか
一般人の雑記は興味を持つ方はいないかも知れませんが
備忘録として今後何かあった時の為に、残しておきたいと思います